LOGIN四国鉄道発祥の町で、駅に勤める駅員・橋倉雅治は、春になるたび祖父のことを思い出す。 祖父・勇もまた、かつてこの町で人々を送り出す仕事に就いていた。だがその胸には、生涯忘れることのない、ひとつの別れが残されている……。 幼い頃からいつも共に過ごしてきた、鉄道に夢を抱く勇と、商家の娘として育つ小春。 歳を重ねる毎に変わる関係と言葉にできない想いが二人を包む。 そして迎えた別れの日―― 勇は駅員としての最初の仕事でホームに立ち、小春は汽車に乗る。 窓を隔て、互いに気付く二人。 目が合い、言葉も届きそうだった。 それでも――間に合わなかった。 選ばなかったんじゃなく、選べなかった。 分かっているからこそ、苦く、儚い。
View More春。
暖かく吹く風に木々が揺れ、こぼれ落ちそうなほどたわわに花開いた桜が、音も無く舞い散る。
多度津駅で電車を待つ人はまばらで、穏やかな時間が流れていた。 そんな風景を、改札口の窓口に座っていた一人の駅員――橋倉雅治は静かに見守っている。――春だなぁ。
どこからともなく舞い込んでくる桜の花びらを見つめ、雅治はぼんやりとしながら思った。
――また、この季節が来たのか。
雅治は、毎年この時期になると、亡き祖父の話を思い出す。
「橋倉さん、お疲れ様です」
ふと、背後から聞き慣れた声がかけられて振り返ると、去年入職した二十歳の青年――渡辺夏輝の笑顔が見えた。
「ああ、夏輝くん。お疲れ様」
やんわりと笑みを浮かべながら、短く答えて立ち上がると、渡辺は嬉々として雅治の座っていた席に座る。
雅治は柔和に目を細め、そんな彼を見た。「君は、ここに座るのが本当に好きなんだね」
「はい! ここに座ると、色んな電車が入ってくるのが見えるんで!」根っからの電車好きらしい彼の笑顔に、雅治は小さく、どこか安堵したような笑みを浮かべる。
雅治は彼の肩に手を置き「それじゃ、あとは宜しく」と伝え、その場を後にする。
雅治は他の駅員にも手短に挨拶を済ませ、更衣室へ入る。着ていた制服を脱いでハンガーにかけ、ロッカーへ戻そうとしてふと、手を止めた。
――じいさん。私も、そろそろ引退です。
制服を見つめ、ひとつため息を吐いて、静かにしまい込む。
少しくたびれた茶色のジャケットを羽織り、白地のパナマハットを被って駅を出た雅治は、駅前コンビニの角を右に曲がった。
広く、整えられた歩道の先。線路の柵に沿うように機関車が展示されている。 「……」 雅治はその機関車に近付き、そっと触れてみた。『この機関車は、この場所を走っていたんだよ』
祖父の、物悲しくも、誇らしげな顔を思い出す。
――じいさん。私も、この機関車が力強く走っていた姿を、見てみたかった。
雅治は愛おしく、機関車を撫でる。
そこへ、小さな男の子を連れた若い夫婦が近付いてくる。男の子はおもちゃの機関車を握り締めていたが、本物の機関車を見つけるなり、とびきり目を輝かせた。「ママ! 機関車!」
男の子は歓喜の声を上げ、繋いでいた母親の手を引っ張りながら機関車の前にやってくる。
「凄い大きいね~」
「ほんもの!?」 「うん、本物だよ」母親が優しく彼に頷き返すと、男の子は顔を紅潮させた。
「乗っていい!?」
「え……それは……」息子の好奇心を前に、母親は僅かに言い淀む。その母親の視線と、彼らの様子を見ていた雅治の視線が、一瞬、重なる。
雅治はにっこり微笑むと、僅かに腰を屈め、男の子に声をかけた。
「僕、機関車が好きかい?」
「うん! だってカッコイイんだもん!」 「そうか。おじさんも機関車が一番好きなんだ。この機関車も、君が乗ってくれたらきっと喜ぶと思うよ」雅治の言葉に、男の子は嬉しそうにその場で跳ねると、機関車に乗り込む。
「あ、あの、本当にいいんですか? 展示物、ですよね?」
躊躇いがちに訊ねてくる母親に、雅治は笑顔で頷き返した。
「構いませんよ。これは、そう言う為にも置いてあるんですから」
雅治は機関車を見上げながらそう言うと、子供を見守る父親が、雅治の隣に並んで声をかけてきた。
「この機関車、昔はちゃんと動いていたんですよね」
「……えぇ。そうですね。高松から琴平まで、沢山の乗客を運んでいました」 「おじさん、動いてる当時のこと、知ってるんですか?」 驚いたように父親が訊ねてくると、雅治は困ったように笑いながら首を横に振る。「いや、私は知らないんだ。でも、私のじいさんがね……」
目を細める雅治の言葉に、夫婦は興味深そうにしていた。
小春は、とても腹を立てていた。 お転婆娘だと、なぜ勇の前で言われなければならないのか。「酷い!」 居間の隅で正座をしたまま頬を膨らませ、拳を握りしめていた。「小春? どうしたの?」 そこへ、焼きたての魚を持って炊事場からやってきた割烹着姿の母――キヨが不思議そうな顔で小春を見る。小春はキヨを見て一層不機嫌そうな顔を浮かべた。「お父さんが、私のことお転婆だって!」 キヨは小春の愚痴を聞きながら、着物の袂を寄せて魚の乗った皿を机に並べ、小皿に盛ったほうれん草の白和えをそれぞれの位置に置いていく。「勇の前で言わなくたっていいのに!」 傍に置いたおひつを引き寄せてご飯をよそい、豆腐の味噌汁を静かに椀に注ぎながら、怒りを露わにする小春にキヨは小さく笑った。 小春はキヨのその笑いも勘に障り、ますます頬が膨らむ。「お母さん! 何で笑うの!」「小春がお転婆だって言われて、怒るような歳になったんだなと思ったのよ」 優しい笑みを浮かべて、空になったお盆を胸の前に抱えながらキヨは小春を見る。 母のその言葉に、小春は瞬間的に言葉に詰まった。 その言葉も、なんだか嬉しくない……。「お転婆だって言われて怒ったら、駄目なの……?」「駄目じゃないわ。そうやって一つずつ、お姉さんになっていくのだもの」「……」 黙り込んで俯いた小春に、キヨは頭を撫でた。「……小春。いずれ、お家のためにあなたは嫁がなきゃいけないのだから、男を立て、後ろをついて歩く。そういう淑やかさを身に着けていかなきゃね」 その言葉に、小春の心が重たくなる。 理解はしている。女とはそうあるべきと小学校でも教わっているし、そこに疑問はない。ただ、勇の前でだけは言われたくなかった。「お姉さんになんか、なりたくない……」 ぽろっと零れた本音が、店先から部屋に入ってきた弥七の耳に入る。 弥七の姿が見えると、キヨは静かに立ち上がり、そそくさと炊事場へと盆を返しに行った。 下を向いたままむくれている小春の横に弥七が座ると、小春の体が小さく反応を示し、膝の上に置いていた手を握りしめた。「小春」 炊事場から戻ってきたキヨを待ち、弥七が声をかけると小春は恐る恐る視線を上げる。 小春は、人前では饒舌に話をする弥七が、家の中では多くを話さないこの空気があまり好きじゃない。「顔を上げて、食事を摂
「小春、じゃあまたあとで!」 自宅に帰る途中、米屋の前で立ち止まった勇は小春に声をかけた。「うん、あとでね!」 小春も手を振って答えると、勘助は小春の背後に立った弥七を見て、ボロボロの帽子を取り深々と頭を下げる。「浪越さま。お世話になっております」 こんな形(なり)で申し訳ありません、と言葉を付け足す勘助に対し、弥七はにっこりと微笑み返した。「お仕事は順調ですか?」「ええ、それはもう。全て浪越さまのおかげです」 顔を上げた勘助に、弥七は首をゆるゆると横に振る。「いやいや。私は何も……。それよりも、橋倉さんのようなお仕事をされる方がいるから、我々も安心して暮らせると言うものですよ」 勇も小春も、物腰柔らかく話すその姿を見て、親同士が仲が良いことを嬉しく思った。 父同士が話をしている間、勇と小春も親の影で話をする。「お昼ご飯食べたら、どこに行く?」「じゃあ、多度津山は?」 勇の提案に、小春はムッと顔を顰める。「多度津山? あそこって線路があるだけでしょ?」「いいじゃん! 線路だぞ?」 鉄道に通じるものがあれば、勇には何でもよかった。しかし、小春はそれでは満足せず、頬を膨らませる。その瞬間、勇の頭の上に勘助の大きな手が軽く小突いて来る。 勇は小突かれた頭を押さえて、父を見上げた。「勇。小春お嬢さんを困らせるんじゃない」「えぇ~! 困らせてなんかないやい」 不満そうな声をあげる勇に、勘助は彼の頭を大きな手で掴む。そして頭を下げさせるのと同時に勘助も頭を下げた。「うちのバカ息子が、いつもすみません」「ははは。男子たるもの、そのくらいが丁度いい」 小春の代わりに弥七が笑いながら答える。そして小春の肩に手を置くと、彼女は見下ろしてくる父を見上げた。「まぁ、うちの娘も女子(おなご)ながら、なかなかのお転婆だ。もう少し淑やかにしてもらわねば、嫁の貰い手がなくなりそうで心配しているのも事実」 はねっ返りだと言われた瞬間、小春は怒ったような顔を浮かべて弥七を見る。「お父さん。私、まだ十歳だよ?」「もう十(とお)だろう? あっという間に年頃の女子になる」「……まだだもん!」 小春は怒ったまま父の手から逃れるように身を翻し、奥の部屋へと駆けて行ってしまう。 土間から居間へ上がるために草履を脱ぎ、中に入るなり障子をぴしゃりと閉じて
――大正五年。 街に温かな春風が吹く。 桜の花びらと共に軒先に干された洗濯物が揺れ、町一帯は醤油やだしの良い匂いに包まれていた。 一本、太い通り道を挟んだ両隣に軒を連ねる木造の商店では豆腐や野菜、港で上がったばかりの魚を売りに出している。そんな家々の並ぶ本通りを往来する人々の間を縫うように、十歳の少年――橋倉勇《はしくらいさむ》が港方面に向かって走っていた。 瞳を輝かせ、米屋の前を通り過ぎると店の中から少女――浪越小春《なみこしこはる》が慌てたように駆け出てくる。「勇!」 鈴を転がしたような声で名を呼ぶと、勇は足を止めて振り返った。「どこ行くの?」「もうすぐ、父ちゃんが汽車に乗って帰ってくるんだ!」 満面の笑みを浮かべる勇に、小春もまた目を輝かせた。「お父さん、私も一緒に行ってもいい?」 小春が店の奥に声をかけると着物を着た父、弥七《やしち》が着物の袂に腕を入れ、呆れたような顔を浮かべる。「なんだ……また汽車を見に行くのかい?」「うん! 勇も一緒だよ!」「そうか。もうじき昼餉の支度が整う。見たらすぐに帰っておいで」「はぁい!」 小春は満面の笑みを浮かべて返事を返すと、店を飛び出して勇と合流する。「今日は父ちゃん、丸亀から土産を持って帰ってきてくれるって言ってたんだ!」 カラコロと下駄の音を立て、駅を目指して走りながら勇は嬉しそうに呟く。「お土産?」「きっとでっけぇ団扇なんだろうなぁ! 小春が吹き飛ぶくらいでっけぇやつ!」 大袈裟なくらい両手で大きさを表現すると、小春はムッとしたように頬を膨らませた。「私、飛ばないよ」「分かんねぇよ?」 意地悪く笑う勇に、小春は口を尖らせながらますます顔を顰める。「私が飛ぶなら、勇だって飛んじゃうよ」「俺は飛ばない。男だからな!」「え~? そんなのずるい! じゃあ、勇に掴まるから私も飛ばないもん!」 怒る小春に勇は楽しそうに笑いながら、他愛無い喧嘩をしながら町中を駆けていく。 ふと、遠くから蒸気機関車特有の汽笛と大地を揺らすような大きな車輪の音が近づいてくる音が聞こえてきた。「帰ってきた! 小春、急げ!」「あ、待ってぇ!」 勇が走るスピードを上げると、小春は慌てたように声を上げる。その声に歩調を弱めた勇は、手を伸ばして彼女の手をぎゅっと握ると、一緒に走り出した。 一
春。 暖かく吹く風に木々が揺れ、こぼれ落ちそうなほどたわわに花開いた桜が、音も無く舞い散る。 多度津駅で電車を待つ人はまばらで、穏やかな時間が流れていた。 そんな風景を、改札口の窓口に座っていた一人の駅員――橋倉雅治は静かに見守っている。 ――春だなぁ。 どこからともなく舞い込んでくる桜の花びらを見つめ、雅治はぼんやりとしながら思った。 ――また、この季節が来たのか。 雅治は、毎年この時期になると、亡き祖父の話を思い出す。「橋倉さん、お疲れ様です」 ふと、背後から聞き慣れた声がかけられて振り返ると、去年入職した二十歳の青年――渡辺夏輝の笑顔が見えた。「ああ、夏輝くん。お疲れ様」 やんわりと笑みを浮かべながら、短く答えて立ち上がると、渡辺は嬉々として雅治の座っていた席に座る。 雅治は柔和に目を細め、そんな彼を見た。「君は、ここに座るのが本当に好きなんだね」「はい! ここに座ると、色んな電車が入ってくるのが見えるんで!」 根っからの電車好きらしい彼の笑顔に、雅治は小さく、どこか安堵したような笑みを浮かべる。 雅治は彼の肩に手を置き「それじゃ、あとは宜しく」と伝え、その場を後にする。 雅治は他の駅員にも手短に挨拶を済ませ、更衣室へ入る。着ていた制服を脱いでハンガーにかけ、ロッカーへ戻そうとしてふと、手を止めた。 ――じいさん。私も、そろそろ引退です。 制服を見つめ、ひとつため息を吐いて、静かにしまい込む。 少しくたびれた茶色のジャケットを羽織り、白地のパナマハットを被って駅を出た雅治は、駅前コンビニの角を右に曲がった。 広く、整えられた歩道の先。線路の柵に沿うように機関車が展示されている。「……」 雅治はその機関車に近付き、そっと触れてみた。『この機関車は、この場所を走っていたんだよ』 祖父の、物悲しくも、誇らしげな顔を思い出す。 ――じいさん。私も、この機関車が力強く走っていた姿を、見てみたかった。 雅治は愛おしく、機関車を撫でる。 そこへ、小さな男の子を連れた若い夫婦が近付いてくる。男の子はおもちゃの機関車を握り締めていたが、本物の機関車を見つけるなり、とびきり目を輝かせた。「ママ! 機関車!」 男の子は歓喜の声を上げ、繋いでいた母親の手を引っ張りながら機関車の前にやってくる。「凄い大きいね~」